選手を支える側から、挑戦者へ

生き方とキャリア論
 葛藤の極限:ドクターの静かな一言

命の現場で働く日々、私は仕事とサッカーを並行し、身体は疲労の限界を迎えることも少なくありませんでした。手術室で隣に立つ、スポーツ整形外科のドクターに、仕事の合間に膝の水を抜いてもらい、ヒアルロン酸注射を打ってもらうことも多々ありました。

そんなある日、ドクターからふと静かな声で言われたのです。

「このままサッカー、やり続ける?厳しい気がする。」

その一言が、私に深く、そして静かに突き刺さりました。ここで完全にサッカーを諦めるのか、今後自分はどんな人生にしていきたいのか。26歳という年齢を前に、私は考えを巡らす日々でした。

手術に対する決心と恩師の言葉

しかし、私の心は叫んでいました。「いや、まだまだやれる。」

私は、手術を受けてしっかり膝を治すことを決心しました。
いつもお世話になってきた同僚のドクターや大好きな同期に囲まれながら、「関節鏡下右半月板縫合術」という手術を受けました。

「サッカーは人生の縮図だ。いまが一番若い。自分次第、考え方次第だ」

これは、サッカーの本質を教えてくれた恩師からいただいた言葉です。

この言葉が私を支え、母を通してイギリスへ行ける手段があることを提案してもらったのをきっかけに、私は海外挑戦という、人生を賭けた決断をしました。

乗り越えた先の挑戦

これまで、手術に臨む多くの選手たちを支えてきました。彼らが抱える測り知れない心の葛藤を、私は間近で見てきました。しかし今度は、私自身が手術を経験し、リハビリを経て、復帰までの9ヶ月間は「何もできていない」と自分を責める日々も味わいました。

選手を支える側から、支えられる側へ。そして、再び大きく挑戦する側へ。

怪我を抱えながら、仕事もしながら、サッカーを続けつつ手術も経験した、これらすべての経験が、複数の角度から自分をさらに広く深い人間に磨いてくれたと感じています。

そのときの一つ一つをどのように捉え、考え、時にはしがみついて、まっすぐ前に進みながら変わり続けること。
これは私の、誰にも負けられない精神と姿勢となっていまも生きています。
当時は、いま現在イギリスで思いっきりサッカーができているとはまったく想像していませんでした。

結論:私の「感謝」と「誇り」

実質的に医療の現場を離れても、舞台が日本ではなく海外になっても、そして活動のフィールドが「サッカー一色」になったとしても、私の軸は揺らぎません。

いまの私のキャリアは、一般的にはとても異色で、レールを外れているような考えられない選択かもしれません。「勿体無い」「今さらサッカー?」など、正直さまざまな言葉を日本で浴びてから渡英してきました。

ただ、ここまでの自分の選択と決断に私は1ミリも後悔はありませんし、むしろここまでの人生すべてに深い誇りを感じられるようになりました。
そして、この激しくも尊い人生を歩ませてくれたすべてに、支えてもらったすべての方々に、心からの感謝をしてもしきれません。
時に、神様がこのように私の人生を整え、導いてくださったのかなと思うと、涙が出るほど嬉しいです。

だからこそ、私はこのホームページを通して、記すことにしました。

サッカーや医療の道を極め、プロフェッショナルとしてやり続けている方々に失礼じゃないか、と思う自分のキャリア選択を、誰にも言わず、公開できずに過ごしたイングランドでの1年間。

静かに一人で書いていたnoteやSNSでの文章を見て、声をかけてくださったWeb制作会社のMikiさんとの出会いが、この公開をさらに後押ししてくれました。

あの現場で得た「命の重さ」と、「愛をもって人を救う」という使命感は、
私の人生の永遠の軸です。
その軸がある限り、私は「愛に溢れたアスリート」として、このピッチで挑戦を続けます。

記事ひとつひとつが、
あなたの人生を後押しする、静かで力強い「救い」と「勇気」の一つとなることを願って。

ぜひこのホームページを通して、人生の仲間になってくださる方が増えたらとても嬉しいです。

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